• 日頃の備えは「強い信念と 正しい情報把握、対応力の訓練 」

    • 気仙沼市立一景島保育所の大震災体験から学ぶ
    •  東日本大震災の大津波で流失・全壊した気仙沼市立一景島保育所の所長を務めていた林小春さんが、震災当時の様子を講演された。大震災から2年半。復興仮設住宅に暮らす人たちの90%近くが困難な状況にあり、林さんご自身も、今もってご主人の消息は不明とのことである。

       一景島保育所は水産加工工場のある気仙沼市潮見町に立地し、震災当時は71人が在所し、保育所は月1回、避難訓練を行い、強い地震の後は近くの気仙沼中央公民館に移動することとし、近くの水産工場に男性従業員の手助けを依頼していたと言う。保育所は津波のリスクが高いとされ、行政防災無線が設置されていたが、3月11日の午後2時46分の緊急地震速報直後の大きく長い揺れは経験したことのないもので、昼寝の子供達を叩き起こして約100メートル離れた気仙沼中央公民館に向かった。林さんは子どもたちは整然と、普段の訓練と同じように行動し、午後3時前に避難が完了したことを生還の第1要因にあげた。第2は異変を聞きつけ駆けつけた保護者の多くが子供を車に乗せて連れ帰ろうとするのを保育士達が必死に引き留めたことである。道路は、海辺から離れようとする車の渋滞が発生し、結果として逃げ遅れた多くの車が津波に呑み込まれ、流されたという。さらに、訓練時には襲来する津波の高さを6~7mと予測し、公民館の2階に避難する事となっていたが、避難してきた人の「ラジオで10mの大津波警報だと言っている」との声で、皆んなで3階に移った直後に津波の第1波がやって来た。白い波は土煙を上げながら、もの凄い轟音と衝撃で公民館を揺さぶり、2階の天井付近に到達したとあり、情報の把握と瞬時の判断が第3,第4の要因となる。第2波、第3波に対応した子供たちの屋上避難や排泄の世話、携帯ツールによる救援要請、水や食料の公平、整然としてた配分などが連帯意識を生み、446名もの生還が果たされた大きな要素だったと感じる。火災、余震、津波のなかで一睡もできない夜を過ごし、ヘリコプターによる救助が打ち切られるギリギリの現実の中で、冷静さを失わなかった林さんらの児童福祉施設職員の皆さんに心からの賞讃を贈りたい。脱水症状で吐いたり、熱を出したりした子供が食事をし、水分を補給した刹那、笑い、駆け回る様子に「子供は希望の灯火」と述懐されているが、「子供を守りたいと思う多くの住民の意思が、日頃の避難訓練やの情報のキャッチ、判断、対応をスムーズにしたのだ」という言葉から、日頃の備えとは、強い信念と正しい情報把握、対応力の訓練なしには決して達成されないと言うことを感じ取った次第である。
    • 掲載日: 2013年10月30日

 



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